Itsukushima Perry

Guitarists in the growth period to the development period成長期から発展期のギタリスト<

前述「記事メニュー」の「萌芽期-成長期のギタリスト」序文、日本の成長は、朝鮮戦争から高度経済成長期にかけて非常に顕著であり、戦争後、日本はアメリカの援助を受け経済復興を進め、特に1950年代後半から1960年代にかけて急速な成長を遂げました。
[*1]日本は「高度経済成長期」と呼ばれる時代に突入し、政府はインフラ整備や教育の充実に力を入れ、工業化・技術革新を進めて経済の基盤を強化しました。
また、輸出主導型の経済政策を採用し、日本製品の品質向上と生産性の向上に努めた結果、日本は世界第二位の経済大国となり、国民の生活水準も大幅に向上します。
社会情勢が安定期に入ると、大衆に精神的な安定の兆しが見えると、人々の欲求は娯楽を求め、教養に目が向けられた。

1950年代から一流の音楽家が続々と来日し、音楽文化が大衆に紹介・啓蒙されていきました。

高度経済成長期(1950年代後半から1970年代初頭)のクラシック音楽の動向は、日本国内外で多様な発展を遂げています。
日本は急速な経済成長とともに、文化的な多様性が増し、クラシック音楽もその一環として進化しています。

<高度経済成長期のクラシック音楽動向>

[西洋音楽の影響]: 高度経済成長期には、西洋のクラシック音楽が日本に大きな影響を与えました。
特に、ヨーロッパの作曲家たちの作品が日本で広く演奏され、学校の音楽教育でも取り入れられました。

[日本の作曲家]: この時期には、日本の作曲家たちも活躍し、独自の作品を作り出しました。
例えば、黛敏郎や武満徹などが挙げられます。彼らは西洋のクラシック音楽の技法を取り入れつつ、日本の伝統音楽と融合させた作品を作りました。
オーケストラとコンサートホールの発展: 高度経済成長期には、オーケストラやコンサートホールの数が増加し、クラシック音楽の演奏機会が増えました。
これにより、一般市民もクラシック音楽に触れる機会が増えました。

<高度経済成長期のマスメディア動向>

[テレビとラジオの普及]: 高度経済成長期には、テレビとラジオの普及が進み、クラシック音楽の演奏やコンサートの模様がテレビやラジオで放送されるようになり、より多くの人々がクラシック音楽に触れることができるようになりました。

[音楽雑誌の増加]: 音楽雑誌も増加し、クラシック音楽に関する情報や評論が広く発信されるようになり、クラシック音楽に対する関心が高まった時期です。
[レコードの普及]: レコードの普及により、クラシック音楽の録音が一般家庭にも普及しました。これにより、クラシック音楽を自宅で楽しむことができるようになりました。
クラシック音楽とマスメディアの相互作用が進んで、日本の音楽文化に大きな影響を与えたと考えられます。

※参考に、外来演奏家の公演 (非常に多いので抜粋しています)リストで判断願います。[*2:このページの最下段に掲載]


[*参考文献]:
[*1][*2]尚美学園大学芸術情報学部紀要 第4号 クラシック音楽文化需要の変遷 皆川弘至 P.107

NHK教育テレビ「ギター教室」の歴代講師

1966年4月~1967年3月:阿部保夫
1967年4月~1967年9月:小倉俊
1967年10月~1968年3月:京本輔矩
1968年4月~1968年9月:奥田絃正
1968年10月~1969年3月:阿部保夫
1969年4月~1969年9月:小原安正
1969年10月~1970年3月:京本輔矩
1970年4月~1970年9月:奥田絃正
1970年10月~1971年3月:寿楽光雄
1971年4月~1971年9月:高嶺巌
1971年10月~1972年3月:阿部保夫
1972年10月~1973年3月:京本輔矩

その後NHKでは「ギターをひこう」で名称を変えスタート。
’73.4月~’85.3月。
講師も阿部保夫,荘村清志、渡辺範彦、芳志戸幹夫、鈴木巌、アントニオ古賀、小原聖子、松田晃演、阿部恭士、など、


*****************************************************************************************


[※] 全国主要ギター教授者総覧 1960年[PDF:10MB]  PDF
[*抜粋]Digital Guitar Archive:1960「ギターの友」PDF



GUITAR


このページの紹介ギタリスト : 幕田慶司 鈴木 巌" 石月一匡  松田晃演(二郎) 中川信隆 宇田川禎一 北村峰雄  高木 孝

<< 前のページに戻る     次のページに行く>>



幕田慶司 keiji Makuta

幕田慶司
幕田慶司(1960年頃)

1930年 宮城県石巻市に生まれる。

12歳のころより兄阿部保夫についてギターを学び、後に菅ノ又信太郎氏について音楽理論を学ぶ。
1948年 旧制第2高等学校に入学。
1949年 第1回リサイタルを仙台で行う。
1951年 東北大学医学部に入学、同年以降ギター独奏者として仙台中央放送局よりたびたび全国中継にて放送を行う。
1951年 阿部慶司第1回ギター独奏会:於 仙台商工会議所
1956年 都北大学医学部大学院に入学。医学研究のため演奏活動を中止する。
1960年 大学院を卒業、医学博士となり、今日に至る。

リュート曲のギターへの編曲多数あり。
論文:「リュートの歩んだ道」「エリザベス朝のリュート音楽」など。


アニドの公開レッスンを顧みて阿部慶司(仙台)
『この度、特に私が、安達右ー氏と共にアルモニアから派遣されて、アニド女史の公開レッスンを受けることが出来たのは、非常に光栄なことで、又私の長く忘れることの出来ない思出となりました。
レツスンは 5月23日 1時より四谷の写真文化協会で行われ、受講者は六名で、内三名は希望曲、他の三名は基礎技巧についてでした、傍聴者は三十人位でした。

先づ北沢氏の「グラナダ」ですが、楽譜の間違いを沢山指摘されました。
これは前に北沢氏の先生である奥田紘正氏と私の兄(阿部保夫)とがタルレガの編曲と原譜との相違について話し合つた事があり 、そういう点を指摘されたものと思いますが、タルレガの編曲を、しかもそのまま弾いてどうしていけないのか説明のなかったのは残念でしたが、とにかく編曲ものを弾く場合は一応原譜を参考にする必要があると思います。

その他ハーモニックの音は不完全になり易いからプリッヂの近くで出す事、低音の場合は拇指もアポヤンドを用い弾絃と同時に左指を絃から離す事、旋律は出来るだけ浮かせる事などの注意がありました。

次に私はアルベニスの「朱色の塔」を弾きましたが、1、2ケ所音の間違いと 、フォルテはプリツヂの近くでピアノは指板に近い方で弾いた方がよいとの注意を受けました。
私としてはもっと総括的に表現やフレージング等の問題について批評をして欲しかつたのですが、こ 1の点については受講者や傍聴のギターリスト諸兄も同感のようでした。

次に安達氏が「アメリアの誓い」とタルレガの「マリエッタ」を演奏しましたが特に、すべてのメロデーをアポヤンドで弾く事を要望されました。
この点については傍聴の或ギターリストは「要はその曲を如何に音楽的に表現するかにあり 、その為にはアポヤンドを用いてもアルアイレを用いてもよいのではないか」との意見であり 、私の兄は「練習の為には当然アポヤンドを用いるぺきであり、又曲の場合にも一応原則としては妥当である がそれを使い分ける事に依り一層効果の上る場合がある」との意見でした。

次に基礎技巧についてですが、人見氏がギターの保持法と姿勢について質問しました。
これは当然誰れもが知つて居る事ですが有意義な事であると思いました。

その他アルペジオは指の練習の為にはすぺての指使いを逆にして弾く事、又和音を弾く場合は右手を下方にずらした方がよいとの事でした。

しかしセゴピアの演奏を聴いた人の話ではセゴピアは全然手を動かさず、又指の動いて居るのも判らない位で、ffもppも自在に出して居たとの蔀でした。
これば外国出版の教本にもその様な注釈はなく 、アニド独特のものであるかどうか、強いて真似する必要はないと思いますが、手に流動性を持たせる事は表現、演奏スタイル等より一考する要はあるでしょう。

又弾弦の際は手をはずませない事。 各指に独立性を与へる事がタルレガの方法であり、その為には右指の色々な組合せでスケールを練習すべきであり、特に amim、の指使いでスケールを練習するのがよいとの事でした。
この指使いは私の見た範囲では教本に書いてありませんが、兄が以前からこの方法を考え、私もそれを練習して来ましたがア ニドと偶然にも一致して居りました。
その他トレモロも通常の弾弦と同様手をはづませない事等の注意がありました。
これらの諸点については私の勉強過程をはっきり裏付けられ愉快に感じました。
総じてこれらの基礎技巧は当然誰れもが知つて居り、実際その通り出来なければならない程度の事でした。』


鈴木 巌 Iwao Suzuki

鈴木 巌
鈴木 巌

鈴木 巌 Iwao Suzuki (1932年-2019年)

1932年6月25日 東京に生まれる。13歳よりギター独学。
1952年 NHK新人オーディションに合格する。数回にわたりギター独奏を放送する。
1955年 東京における第1回独奏会を開催する。以後毎年1回の定期独奏会を開き、地方公演を含む70回以上の独奏会を開催する。
1956年 我が国における最初のギター協奏曲を自作自演する。
1957年 モスクワ国際ギターコンクールで参加32か国・80人のうち第1位入賞を果たす。入賞者コンサートに法人として最初のチャイコフスキーホールのステージを踏む。
1958年 舞踏劇”ある巨人の話”を作曲。以後、劇音楽、放送劇、テレビ等に多数の作曲と編曲がある。
1961年 松本労音を初めとして、現在までに、東京、大阪、横浜等各地労音でリサイタルを開き、約100労音200回のリサイタル例会をもつ。
1962年 東京における国際ギター会議で、に代表の一人として自作の”ギターと弦楽合奏のための幻想曲”を演奏。
1964年 鈴木巌作曲”古典舞曲”に対し武井賞<毎年ギター曲に対して与えられる賞>を受賞。念平均50回以上のリサイタルと作曲・編曲指導に活躍。
1967年 12月、ソ連政府の招きにより、訪ソ。モスクワ、レニングラードをはじめ9都市11回のリサイタルを開催。
1968年 1月にポーランド政府にマネから、6都市11回、協奏曲を各都市オーケストラと共演。
1969年 12月に東フィルとの共演で”アランフェス協奏曲”を演奏。式:荒谷俊治。
1970年 11月、ソ連政府の招きにより再度訪ソ。モスクワ、レニングラードをはじめ6都市において追加含む10回のリサイタルをノボシビルスク・フィルと共演し、”リュート協奏曲[ヴィヴァルディ]”を演奏した。指揮:カッツ。

2019年8月23日 永眠

著作にはカワイ楽譜より”ギター講座全5巻””鈴木巌ギター作品集””新しく編曲したギター・クラシック名曲第1”、またソ連メロディア社、日本ビクターにそれぞれ録音したレコードがある。

[*資料]
新しく編曲した「ギター・クラシック名曲集2」1971 by KAWAI-GAKUHU Co.,Ltd,Tokyo Japan


[*YouTube動画]
[配信元]:高木裕治 [Yuji Takagi]氏
1984年4月17日 原宿・SDA東京中央協会

■鈴木 巌ギターリサイタル=世界の舞曲を集めて 民族音楽の夕べ

石月一匡 Kazumasa Ishizuki

石月一匡
石月一匡

1933年-2003年

1933年 長野市に生まれる。
1950年 ギターを志し独学、同時に作曲を学ぶ。
1954年 溝淵浩五郎氏に師事。
1957年 各地の放送局より独奏による放送を行う。
1961年 ハルディン・デ・ロス・ギタリスタス会員となり、リサイタルを行う。
ギター室内楽協会を設立。
1963年 定期演奏会を設け、一流弦楽器奏者との共演による第3回演奏会を行う。
ハイドンの「リラ協奏曲」をはじめ、バロックから古典に至る協奏曲の編曲を手掛ける。
1966年 サロン・コンサートも新たに発足。
これまでの編曲作品は20曲に及び協奏曲からトリオまで室内楽曲のレパートリーの拡大に貢献。
独奏曲の編曲にも力を入れ、全音版「ギター名曲選集」では、バッハを取り上げている。
最近朝日音楽サロンなどの演奏会で意欲的に古典室内楽曲を発表している。

石月一匡(いしづき かずまさ) 1933年、長野市生まれ。ギタリスト、ガンピスト、作曲家、編曲家。
16歳より、ギターと作曲を独学で始める。
1969年、オスカー・ギリアによるマスタークラスのコンクール最優秀賞を受賞。
ギター演奏を溝渕浩五郎、阿部保夫、オスカー・ギリアに師事。
生涯を通じて、クラシック音楽におけるギターの地位向上に尽力した。
ギターはヘルマン・ハウザー3世を愛用。
演奏活動では、ソロ以外にもギター室内楽を重点的に演奏し、数多くの作品を初演した。
それらには、ギター五重奏曲(M. カステルヌーヴォ=テデスコ作曲)、ギターオブリガード付き交響曲(ボッケリーニ作曲)、ギター協奏曲(ボッケリーニ作曲、カサド編曲)などが含まれる。
1961年に「ギター室内楽協会」を設立・主催、当時は世界的にもギターを用いた室内楽を演奏する楽団は珍しかった。
1983年には、ロココ音楽・古典派音楽の演奏を中心とする合奏団「ボーテン・デル・カンマムジーク」を組織した。
出版物は、自作・編曲以外にも「ギター室内楽選集」(全音楽譜出版社)を始めとした室内楽譜が数多く、他にも好評を博した「ジュリアーニ・ギター名曲選」(全音)などがある。
2003年、東京で永眠。

松田晃演(二郎) Akinobu Matsuda

松田晃演(二郎)
松田晃演(二郎)

1933年-2021年

松田 晃演(まつだ・あきのぶ)
1933年 姫路市に生まれ、13才頃よりギターに興味を持ち始める。
1957年 神戸大学経済学部卒業。
     藤井紫朗、小原安正、溝淵浩五郎、月村嘉孝、藤田光彦に師事。水谷和久(音楽理論)
1957年「ギターの友」新人音楽賞を受賞。
     日本ギター教授者協会会員
1957年 NJBリサイタル オーディションに合格
1959年 来日中のアンドレス・セゴビアに認められ、翌1960年渡欧。
スペイン、イタリアにてセゴビアに、また彼の推薦によりイギリスでジョン・ウィリアムスの下で学ぶ。
1961年 スペインのオレンセで開かれた国際ギター・コンクールで第3位入賞。
1962年 渡米、十数都市で演奏、ラジオ・テレビなどに出演。5月に帰国、大阪及び東京での帰国記念リサイタル。
1963年 神戸労音でロドリーゴ作曲のアランフェス協奏曲と同年来日したジョン・ウィリアムスとの二重奏によって1963年度関西クリティック・クラブ賞を受賞。
1964年 再度招かれて渡米、各地で演奏し、ヨーロッパに渡り、帰途シンガポール及び香港にてリサイタル。
1968年 リトゥル・プレイ・ハウス(渋谷)で「プラテロと私」朗読−岸田今日子で数回の連続競演。
1969年 11・12月カーネギー・ホールを中心として、アメリカ各地及びカナダ・ロンドンでリサイタルを開き絶賛を博す。
1970年 この年より数年間軽井沢における夏季講習会のギター課の講師。
LP「松田二朗バッハを弾く」録音 ・発売及び「プラテロと私」ギター 松田晃演(二朗)朗読 木村功 にて発売。
1972年 アーゴ・デッカ(イギリス)Classic Sound of the Guitar。
1973年 1・2月ウィグモア・ホールを中心としてイギリス各地でリサイタル及び放送に、又パリ国営放送に出演、絶賛を博す。
イギリスにてアーゴ・デッカレコードに録音、発売される。11月ノルウェーの音楽祭に出演。
1974年 2月ホンコン音楽祭に出演後、イギリスで演奏。
1975年 7月アルハンブラ宮殿におけるセゴビアの音楽映画撮影にカメラ及び、マイクテスト代役として参加。
1976年 7月アルハンブラ宮殿におけるセゴビアの音楽映画撮影にカメラ及びマイクテスト代役として参加。
1979年 エリアウ・インバル氏指揮のもとアランフェスのコンチェルト。
2月国際カステルヌオーヴォ=テデスコ協会の名誉評議委員会に推薦される。
4月姫路市芸術文化功績賞を受賞。
1980〜82年 Andrés Segovia来日、多くのレッスンを授かる。
1982年 4月よりNHKテレビ「ギターをひこう」の講師を担当。この放送をセゴビア先生は日本で見ておられ、ゲスト出演を申し出られたが不調に終わる。
1985年 4月姫路市文化賞を受賞。テデスコ作曲「カプリッチョス・デ・ゴヤ」より数曲を世界初演。『完全ギター独習』刊行。
1986年 「ギターの完全独習」発売。
1989年 7月スペイン国際ギター・コンクール「アンドレス・セゴビア」の審査員として渡西。
1990年 5月野鳥保護と自然環境保全を訴え、セイヴ・ザ・バード・コンサートを開き、北海道のタンチョウヅル保護のための基金を寄贈。
1992年 SIMIZU MUSIC COLLECTIONでアランフェスの協奏曲―大阪センチュリー交響楽団― を、清水建設の主催で演奏。コロンブスのサンタ・マリア修復号鳥羽寄港記念コンサート。
本荘玲子とM.M.PonceのGUITARと HARPSICORDの為のSONATA(キマイラの踊りと命名)を公演&CDに収録「サウンド・オブ・ザ・キター2」を発売。1892年製トーレス入手。
1993年 東京・大阪で本荘玲子とポンセのギターとハープシコードの為のソナタを共演。CD制作(SOUND OF THE GUITAR 2)発売。1864年製トーレス入手。
1995年 ギターと影絵(藤城清治)、朗読(八千草薫)によるプラテロと私。
1996年 ミュンヘン市立博物館とその他でコンサート。
2001年 「ギターは小さな星のオーケストラ」(エッセイ集)発売。 2002年 「サウンド・オブ・ザ・ギター3」自主製作、発売。
2006年 「サウンド・オブ・ザ・ギター4」自主製作、発売。例年関東と関西で自主公演コンサート開催。
2011年 「サウンド・オブ・ザ・ギター5」別名聴くギター音楽入門CD」それらの演奏曲目の楽譜添付して発売。
以降演奏の傍ら、後進の指導及自己の音楽的演奏能力開発に励み、またホームページにエッセイ集として発表。

中川信隆 Nobutaka Nakagawa

中川信隆
中川信隆

中川信隆 Nobutaka Nakagawa

ギター・アート・グループ(G.A.G)会長
1933年(昭和8年)生。(大阪市)
ギターを縄田政治氏、音楽理論を藤田正彦氏に師事
その後、独立し「中川信隆ギター研究所」を開設。
1964年に渡西、日本人としては二人目にナルシソ・イエペスに師事。
帰国後、ギター・アート・グループを創立。

NHK教育テレビ「スペイン語講座」の音楽を担当。
現代音楽祭、FM大阪「ギターは歌う」にレギュラー出演。
また大阪フィルハーモニーとコンチェルト共演を2度、毎年、自身のリサイタルを開催するなど、精力的に音楽活動を行う。

日本ギター教授者協会会員、関西ギターグループ所属
日本ギターコンクール協会創設に(株)YAMAHAの協力を得て尽力。
同協会副会長(1973~2001)
日本ギター連盟理事(1992~2007)その後、名誉理事に就任(2008~2019)

1980年にはビクターよりレコード「中川信隆珠玉のギター名曲集」を発表。

著書:
「現代ギター教則本」
「初級ギター名曲集」
「やさしく楽しいギター教則本」
「ギター編曲による日本の歌1、2」
「ギター編曲による世界の歌1、2」
「クラシックギターのテクニック」
「フルートとギターのファンタジー」
「発表会用ギター名曲集1、2」等。

座右の銘は「一音一心」サイン等に一筆添えていた。
   2020年、永眠。

[]
中川亨blog:『中川信隆追悼演奏会』2022/07/09より

宇田川禎一 Teichi Udagawa

宇田川禎一
宇田川禎一

1934年-現在

1934年(昭和9年)12月22日生。(東京都)
A.セゴビア、N.イエペス、J.トーマス(ギター)
1963年 スペイン、サンチャゴ・デ・コンポステラ国際音楽講座、マドリー
1965~1966年 スペイン、サンチャゴ・デ・コンポステラ国際音楽講座、アリカンテ
1957年 第6回現東京国際ギターコンクール第3位
1958年 第7回同コンクール第3位
田川禎一・達雄ギター教室
隅田川サミット
1972年 韓国でチャリティリサイタル
1979年より埼玉県新人演奏家審査委員。武井賞委員会委員。

Copied by:Digital Guitar Archive

北村峰雄 Mineo Kitamura

北村峰雄
北村峰雄

1938年 東京生まれ。
幼少の頃より、音楽に親しみ、12歳より兄(北村謙=ギタリスト)とともにギターを独学。
13歳ころより本格的に勉強。
1965年 ホセ・ルイスがスペインより来日の際、音楽的才能を認められ、すぺいんへの留学

高木 孝 Takashi Takagi

高木 孝
高木 孝

高木 孝[Takashi Takagi]1938年-2024年

    [1935.9.22~2024.5.7] 佐々木政夫、玖島隆明氏に師事。
    1964年東京文化会館にてリサイタル開催以後、毎年コンサート活動を続ける。
    テレビ、ラジオ、映画音楽担当など多方面の仕事をし、その後新しい奏法の研究に没頭して現在の奏法を確立する。
    その間多くの一流ギタリストを輩出し、新奏法の有効性を実証。
    教授活動に専念するかたわら、TGギター協会会長、埼玉ギター協会理事長を務める。



    [*YouTube動画]
    [*配信元]:<内田利香(Rika uchida)氏のYoutubeチャンネルで視聴できます。>
    https://www.youtube.com/@rikauchida4187/videos


    ■グランド・ソナタ第2番よりアレグロ・ノン・トロッポ~フェルナンド・ソル

    ■魔笛の主題による変奏曲~F.ソル


1950年~1960年代  来日クラシック音楽家

[1950年代]
1951年: ユーディ・メニューイン

1952年:アルフレッド・コルトー

1953年:ワルター・ギーゼキング、ヨゼフ・シゲティ、アイザック・スターン

1954年:ウィリヘルム・バックハウス、ヤッシャ・ハイフェッツ、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ピエール・フルニエ

1955年:ダビッド・オイストラッフ、ウィーン少年合奏団

1956年:シュトウットガルト室内管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(パウル・ヒンデミット)

1957年:ベルリン・フィルハーモニー(カラヤン)、エミール・ギレリス、ハンナ・チェルニー・ステファンスカ、アラ・ソレンコワ

1958年:ピエール・フルニエ、アマデウス弦楽四重奏団、ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ、レオニード・コーガン、、アルヴィッド・ヤンソンス(東京交響楽団)

1959年:ウィーン国立歌劇場公演、ヨゼフ・スーク、ユーディ・メニューヒン、ヨーゼフ・スーク、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、(ヘルベルト・フォン・カラヤン)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(ウィリー・ボスコフスキー)、ク、イタリア歌劇団(エレーデ、ヴェルキ、マリオ・デル・モナコ、ガブリエッラ・トゥッチ、フェルッチョ・タリアビーニ、他)

[1960年代]
1960年:イーゴリ・オイストラッフ、オイゲン・ヨッフム(東京交響楽団)、ラインハルド・ペータース(東京交響楽団)、同(東京交響楽団)

1961年: ヴァツラフ・スメタチェック(東京交響楽団)、同(東京交響楽団)イエルク・デムス、ヘルマン・プライ、パブロ・カザルス(東京交響楽団)、アイザック・スターン、アルトゥール・グリュミオー、レナード・バーンスタイン(ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団)

1962年:ワルター・クリーン、ドイツ・バッハ・ゾリスデン、アントン・カラス、ジュリアス・カッチェン、オイゲン・ヨッフム、ベルナルド・ハイティンク(アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)、エリック・フリードマン、ヤナーチェック弦楽四重奏団、ニューヨ-ク木管五重奏団、ハンガリー弦楽四重奏団、スメタナ弦楽四重奏団、ベルリン室内管弦楽団(西)、シャルル・ミュンシュ(日本フィルハーモニー)

1963年:レオニード・コーガン、アダム・ハチャトゥリアン、レオニード・コーガン(読売日本交響楽団)、ヤン・クレンツ(ポーランド国立放送交響楽団)、ヘルムート・ヴィンシャーマン(ドイツ・バッハ・ゾリスデン)、ピエール・モントゥ、アンタ ル・ドラティ、ゲオルグ・ショルティ(ロンドン交響楽団)、ジャン・マルティノン(NHK 交響楽団)、ジュリアス・ベーカー、ハンス・リヒターハーザー、ウィーン・フィルハーモニック弦楽四重奏団、トゥールーズ管楽合奏団、イタリア歌劇団(ファブリティス、エット-レ・バスティアニーニ、アントニエッタ・ステルラ、ジュリエッタ・シミオナート、アルド・プロッティ他)、ベルリン・ドイツ・オペラ公演(カール・ベーム、ハインリッヒ・ホルライザー、ロリン・マゼール、エリザベート・グリュンマー、エリカ・ケート、クリスタ・ルードウィッヒ、リザ・オットー、ワルター・ベリー、D.フィッシャウ=ディスカウ他)

1964年: ヴラディーミル・ホロヴィッツ(ピアニスト)

1967年: ヘルベルト・フォン・カラヤン(再来日)

1950年~1970年代  来日ギター演奏家

[1950年代]
1954年:マリア・ルイス・アニード<途中帰国:地方公演中止>
1958年:ヘスース・ゴンサーレス・モイーノ
1958年:マリア・ルイス・アニード
1959年:カルロス・モントーヤ
1959年: アンドレス・セゴビア
[1960年代]
1960年:ジーグ・フリード・ベーレント
1963年: ナルシソ・イエペス
1963年: ジョン・ウィリアムス(初来日)
1965年:ジュリアン・ブリーム(初来日)
1966年:マリア・ルイス・アニード
1967年: アリリオ・ディアス
1967年: イダ・プレスティ&アレクサンドル・ラゴヤ
1968年:ホセ・トーマス
1968年:ジュリアン・ブリーム
1968年:ジーグ・フリード・ベーレント
1968年: ジョン・ウィリアムス

[参考資料]クラシック音楽文化受容の変遷 尚美学園大学情報学部紀要 第4号 皆川拡至
[参考資料]Digital Guitar Archive/08-ギター日本.pdf



<< 前のページに戻る     次のページに行く>>