1925年-1999年
クラシックギタリスト
1925年(大正14年)9月15日生れ(宮城県石巻市)
1936年(昭和11年)12才からギターの勉強をはじめる。
1942年(昭和17年)17才の時に地元で第1回リサイタルを開く。(戦時下のため軍歌も取り入れる)
同時期石巻交響楽団のアコーディオンを担当する。
1945年 (昭和20年) 主計少尉として中国の羅南に入隊し終戦時に広島に復員する。1947年(昭和22年)上京(大蔵事務官として転任)する。
1948年(昭和23年)阿部ギター研究所設立する。
池内友次郎氏(作曲)、小船幸次郎氏(演奏理論)に師事する。
この時期、古賀政男氏主宰の「古賀ギター歌謡学院」で講師を勤める。
1949年(昭和24年)第1回全国ギターコンクールで第1位を獲得。1954年(昭和29年)7月にイタリアのキジアーナ音楽アカデミーへ留学し、ギターの神様アンドレス・セゴビアとプジョールに師事する。
1956年(昭和31年)の帰国後は、リサイタル、オーケストラとの共演と活躍し、教育者としても、多くの門下生を育て上げ、NHK教育テレビの「ギター教室」の講師としても活躍しました。
1969年(昭和44年) 日本ギタリスト協会発足、初代委員長として10年余りコンクールを主宰する。 1999年(平成11年)12月26日に、心筋梗塞のため死去(74歳)。
[*参照]2005 Abe Guitar Laboratory[阿部恭士]氏Webページより
★入賞者を語る★
阿部保夫君について:菅ノ又信太郎
丁度私が30歳位で阿部君が14、5の紅顔の美少年5月の今頃真?の銭湯に誰もなく唯一人気持ちよくひたっていると後から入って来た少年に突然菅ノ又先生ではありませんかと一物を下げたまま直立不動の姿勢で尋ねられた。
そうですと答えるとギターを教えてくれませんかと云はれた。
私ほ当時誰にも数えてなかったので面倒臭いと思ったがその真剣な少年らしい態度と気持ちが気に入り教える事にした。
前からやっていたそうだが最初はカルカッシなど教えたような気がする。
阿部君は非常にまじめな少年で物を言う時口をとがらし吃る癖があった。
いつも鼻の頭に汗をかきかきギターを弾いた。
私の気の向かぬ日は一晩私の弾くのをきちんと坐つてきいていた。
阿部君の今日あるはあのねばりと熱心さにもよるが理解ある父母殊に母親の力が大きかつたと信ずる。
今だに阿部君から嬉しい便りがくると体格のよい身体に満面笑みをたたえて先生のおかげでおかげでと見せにくる。
この母親なるが故に阿部君ありだと思う。
阿部君が東京にいく前、自分の技巧になお自信を持たなかったが、私は絶対の自信を持つて良いと断言した。
もっとも阿部君の技巧は、はるかに私の及ぶ所でないし、叉現在の日本には同君程の技巧家は数少ないと思っていたから。
阿部君の今後は技巧以上のものを獲得すべく―理論方面いやそれにもまして人生を深くみつめて健全なる音楽家として大成せられんことを切に望む。
阿部君よ、総ての方面に裸でぶつかり偉大になれ。
昭和24年5月28日。
<挨拶>
Message 古賀政男Masao Koga高橋功I. Takahashi
盛夏酷暑の折、誌友各位如何御消光ですかお伺い申上げます。
阿部保夫君のイタリア留学について格別の御支援と激励を賜わりましたことに対し御礼申上げます。
阿部君は予定通り去7 月4 日夜羽田発空路イタリアに向いました。
その際は、新日本ギタリスト連合の会員諸氏はじめ多数空港までお見送り下さいまして、行を壮にしていただいたことに対して重ねて御礼申上げます。
阿部君の第一信によりますと6 日ローマに安着、8 日にシエナに行き、直ちにCount Guido Chigi Saracini に挨拶するためにキジ宮殿に伺い、心温まる歓迎の言葉をいただいたそうです。
ところがMaestro Pujol のレツスンもMaestro Segovia のレッスンも共に8 月15 日からと延期になり、それ迄約ーカ月をどうしようかと思いましたが、伯爵夫人の特別の心づかいでその問も奨学金を下さるということになったので、開講までシエナに落ちついて勉強することにしたそうです。
キジ伯爵はお土産に差上げた中野二郎氏の献呈曲や玉虫塗りの花壺など大変よろこんで下さつたそうです。
キジ伯爵並びに伯爵夫人の御好遇に対し、遥かに深甚の謝意を表して居る次第です。
ーカ月後にはいよいよ開講となるわけですが、内地では出発準備のあわただしさで、思うような練習も出来なかつたので、却つて好都合だつたと言えるかも知れません。
若い、ねばり強い、頑張りのきく阿部君のことですから、多大の収獲を挙げることは確かです。
勿論短期のレツスンですから、俄かに阿部君の演奏スタイルが変るとか、見違えるほど上達したとかいう結果を直に期待することは出来ないにしても、その成果が逐次わが国斯界にプラスしてゆくことは信じていいと存じます。
げんに、遠く祖国をはなれた阿部君に激励と期待の言葉を贈ると共に、誌友各位に感謝をこめて再び御挨拶申上げる次第です。
昭和30 年7 月
1956-05-ギターの友