Maria Luisa Anido: First Recital in Japan in 1954
Maria Luisa Anido

1954年 マリア・ルイサ・アニード初来日



1954年日本閣にて 『アニードを囲んで』。
[*前列10名 左より]:岡田峻(通訳)、アニード、佐々木政男、小船照子、佐々木兄弟姉妹6名
[*2列目8名 左より]: 2人目 横尾幸弘、大沢絆(一仁)、小原安正、亀山寿天子、7人目 青山梓(作曲家)
[*3列目5名]:不明
[*4列目5名 左より]:4人目 小原二郎、5人目(右端)安達右一
[*5列目4名]:不明

[*挿画出典元]:『写真で見る日本ギター史』1992年3月30日初版発行
  発行所:現代ギター社/安達右一・監修【GG番号】GG090/P.13



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1954年 初来日 マリア・ルイサ・アニード
Maria Luisa Anido 1907年1月26日、アルゼンチンのブエノス・アイレス州のモローンに生る。 7才よりドミンゴ・プラトに就いてギターを学び始め、次にミゲール・リヨベートの下で学んだ。 1952年にはヨーロッパヘ演奏旅行し、ロンドン、ウイン、パリ、ミラーノ、其他の大都市で絶賛を得て、本年再びヨーロッパへ招かれた。 現、国立音楽学校数授Cアルゼンチンビクター及び、オデオンから多くのレコードが発売されて居り、日本ではコロムビアから『グラナダ=アルベーニス』が出されている。
アニド礼讃 1954年第1回来日リサイタル
野崎浩一
by K Nozaki (Osaka)

5月9日(日曜日)の一番機で雨の東京に来てから連日アニドに会つています。

アニドをこれ以上素人のマネージメントにゆだねるにたえず、産経に渡す交渉をしてい、11日午后4時に大体交渉がまとまりました。
それで6月上旬関西方面の公演を行い、その後仙台でもやりたいと思っています。

アニドの演奏を評するに適当な言葉がありません。
桂離宮の造形美術の至境、ロココもルネッサンスも到達し得なかつたもの、プルノオ・タウトを嘆ぜしめた桂離宮の形(スガタ)とでも言えるものに接して、ただ涙が出るばかりでした。
放物線を描いてルバートするゆっくりゆっくり落ついたテンポのリュートやヴィウエラにも似た音楽は、人間の肉声かとまがうばかりに生き生きとして、中世の音楽の魂に触れる心地でした。
彼女のギターはJoseYacopi の作です。

彼女のマネジャーとファルーのマネジャーが同一人という話で、ファルーはグランデだとほめていました。
今度は私が、ユバンキがマス・クリオジョだと言ったら大変驚いて民謡に話がはづみ、私は彼女の手拍手でヴィタラを2曲とサンパを1曲歌つて大いに茶目気を出しました。
彼女はレコードで覚えたのかと言いますので、「ノー」楽譜だと言いましたらそんな楽譜はないはづだと言いました。
楽譜はないし、不用だと言う,アルゼンチン民謡の通念の一端かと思います。
素直な天真爛漫なギターの天使。
そして又気さくな普通の四十女。
あんまり女史などと日本流に言うのは可笑しいです。
日本人は深刻ぷつて勿体ぶる、その上ピントが外れている場合が多いのです。


(高橋功宛私信より)

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[筆者紹介]:
野崎浩一氏はアルモニアの誌友岡山県のギタリスト野崎齢太郎氏の御令弟で、
ギターと歌曲を好まれ、現在大阪市北区梅ケ枝町宇治電ビル
東亜貿易株式会社の社長、一般輸出入業の外、副業として昨年事業部を創設され、
レコード母盤、楽譜の版権代理、海外音楽家マネージメント等を企図され、
レコードは既に同氏の選曲、解説、訳詞によつて、タンゴはもとより珍重すぺき
アルゼンチンの郷土音楽「牛車に揺られて、クージャの哀歌」「ツクマンの月」
「カムビーチャの踊り」「カルドーソのサンパ」「帰れツクマン」「ミンオネーラ」
等が市販されて居る。 (高橋 功)
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[私の頁]:高橋功
私の周囲


本誌第三号に「アニド礼讃」と題する野崎浩一氏の私信を公開し、そのために筆者はじめ多くの方々に御迷惑をかけたことを深くお詑びする。
野崎氏からは「たとへ善意であったにしろ、非常識の極みだ」とお叱りを蒙つたが、全くその通りで私の弁明の余地が全くない。

前号拙稿ギターのLPレコードの記事で私はルイス・マラヴィリアとルイス・テエラを別人のように独り合点して書いたが、レコード界のヴエテラン藤田不二氏から早速お便りをいただいて、マラヴィリアというのはルイス・ テエラの芸名で、あのレコードの外にWestminster5135にTanidos, de Guitarras という盤が発売されていることを注意して下さつた。

御多忙中を、私ごとき者の記事に注意を払つて下され、御教示を賜わった御芳志を実に有難く思う。
私や周囲にこうした被護と鞭随があるのを非常に幸に思つている。

産経との契約が成立して、社告を以つて地方公演のスケジュールまで発表し、すでに前売券まで発売したのに、仙台公演が明日という6月7日午後に至つて契約が破棄された。

その間、アニド・・・日本ギター連盟・・・産経の間に微妙な動きも察せられなくはなかつたが、まさか産経という大新聞社の信用にかかわるような事態に立至るとは考えられなかつた。

私などアニドの来朝記念アルパムまで作つて喜こんでもらはうと張切つていたのに、残念なことをした。
アニドが北海適だけでなく、産経スケジュールの線に沿つて地方公演を実行してくれたら、ギター音楽の啓蒙と普及と向上にどれだけ役に立つたか測り知れないのを思うと、今更ら乍ら残念である。

週刊朝日5月30日号に匿名のアニド評が出ていた。大へんな酷評である。
ああいう批評は無名でなく、堂々と名乗りをあげてやつてもらいたいものである。 アニドの地方公演中止と突然の帰国に関して疑惑を向けられてい、私にもその真相を発表してくれと多くの誌友から註文をいただいた。

永田哲夫、奥田紘正の両氏から、日本ギター連盟脱退の経緯も報らされた。
ところが、そういうものをアルモニア誌に発表するのはアルモニアの歴史に反するの、果ては承知しないぞと言った脅かし文句まで寄せられた。
こういう手合に限つて無記名なのは遺憾である。

6月20日読売新聞(東京版)がアニド問題を取上げたが、これに対し日本ギター連盟委員長小原安正氏が声明書を発表し、中野新報にも掲載された。
私は真相を詳かにしないが、何か後味の悪い思いがするのは残念である。

7月9日はアルゼンチン共和国の独立記念日。アニドの来朝は、友邦アルゼンチンを更に身近かに感じさせてくれるようになった。そしてフアルーやユバンキのギターにもっと強くアルゼンチンを感じ取りたい気がする。 文豪チェーホフは「医学は妻で文学は恋人だ」と書いている。
チエーホフは周知の通り医者であつたのである。
本年7月15日はその五十周忌に当つているので、彼の作品を読み直してみると、時々音楽について述ぺている個処にぶつつかる。
彼は就中ギターに愛着を持つていたようである。「伯父ワーニャ」にも「桜の園」にもギターの音が流れてい、而もそのギターが筆の運びに大きな役を演じていることも注目に値する。
本誌新着楽譜梱に紹介した作品の写譜を希望される向が多い。
海外楽譜の入手が未だに困難な現在無理もないことである。
一々之を写譜して上げればいいのだが私にはその時間がないし、貸出をして紛失をするようなことがあれば得難いものだけに惜しい。
そこで青写真頒布を思いついた。
すでに内輪に発表して6月第一回頒布を行つた。月2曲で今年中に六回の配布を行う計画である。
希望者は三回分300円又は六回分600円を添えて、私宛に申込まれたい。
アニド・アルバム(A5型総アート紙8頁写真八葉所載)を一部80円でお頒けする。
尚産経公演のプログラムが不要になつたのを少しわけてもらつた。
何せ数が少いのでアニド・アルバム購読の方先着100 名に対してプログラムを参考に差上げるから希望者は更に郵券16円同封の上申込まれたい。


1954-01-04-Armonia/P.17

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[アニドの問題] アニドの地方公演中止、突然の帰国に関し色々と疑惑の念を抱かれた方が多く、私も地方に在つて却々その真相が掴めず、多くの誌友から真相発表を迫られながら、果たさずにいましたところ、本7月5日野崎氏から、その汗料として氏のアルゼンチンの代理人Henry Hirschen 氏からの私信を提供していたゞきましたので、それを公表いたします。
尚誤解を招いては事が面倒ですから原文のま掲載することにします。

冒頭のBuschi azzo 氏はアニド女史のマネジャーであることは説明を要しないと思います。


——•— Buenos Aires, June 26, 1954
Dear Sirs:Mr. Buschiazzo, who is Miss Anido's manager, called on us yesterday and made it clear entirely that Miss Anido does not hold anything against Mr. Nozaki, who had in fact been extremely nice to her and whom she considers a very polite and charming gentleman.
It is only her Japanese managers who caused many difficulties and it took her an endless trouble to collect her fees, whjch she fianlly did through the help of the Argentine ambassador.
We are sure that Miss Anido wished to play for the Sankei, but Mr. Ohara hampered her so much that she feared she would be unable to collect the money for the ten odd concerts if she did so.
She does neve r want to have anything to do wjth neither Obara nor his group again, もut on the contrary she would be very pleased to sign a new contract with Mr. Nozaki for April, 1955 or even earlier if you prefer.
It seems that the Argentine ambassador in Japan introduced her to another company who is anxious to sign a contract with her, but she definitely prefers the Sankei you recommend.
Miss Anido is going over to Europe in February/March, 1955, and she could play for you either 切fore or after that date.

We wish again to point out that Miss Anido was most appreciative ofall the courtesies bestowed on her by Mr. Nozaki and without any doubt that all her difficulties came from Mr.Ohara and his group.
We hasten to give you this informationwhich will set you at ease withregard to Miss Anido affair, and lookforward to hearing from you soon.

Yours very truly
Signed (Henry Hirschen )

1954-01-04-Armonia
////////////////////Google 翻訳にて////////////////////////
拝啓: アニド嬢のマネージャーであるブスキアッツォ氏が昨日私たちのところを訪れ、アニド嬢は野崎氏に対して何の恨みも持っていないことをはっきりと伝えました。
野崎氏は実際、アニド嬢にとても親切で、とても礼儀正しく魅力的な紳士だと考えています。
多くの困難を引き起こしたのは彼女の日本のマネージャーだけで、彼女は演奏料を徴収するのに果てしない苦労をしましたが、アルゼンチン大使の助けを借りてようやくそれを成し遂げました。
アニド嬢はサンケイで演奏したいと思っていましたが、小原氏が彼女を非常に妨害したため、そうすると 10 回ほどのコンサートの費用を徴収できなくなるのではないかと彼女は恐れていました。
彼女は小原氏や彼のグループと二度と関わりを持ちたくありませんが、それどころか、1955 年 4 月、あるいはご希望であればもっと早く野崎氏と新しい契約を結べたらとてもうれしいと思っています。
在日アルゼンチン大使が彼女を別の会社に紹介したようですが、その会社は彼女と契約を結びたがっています。しかし彼女は、あなたが推薦するサンケイを間違いなく好んでいます。
アニド嬢は1955年2月か3月にヨーロッパに渡る予定で、その前でも後でもあなたのために演奏できます。

アニド嬢は野崎氏から受けた厚意に非常に感謝しており、彼女のすべての困難は間違いなく小原氏とそのグループから来たものであることを再度指摘したいと思います。
アニド嬢の件に関してあなたが安心できるよう、この情報を急いでお伝えします。近いうちにご連絡をお待ちしています。

敬具
署名 (ヘンリー・ハーシェン)


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