1925:Raffaele Calace,Morishige Takei,orchestra sinfonica takei.
[*挿画出典元]:マンドリンアンサンブル・ヴォールテンペリーレン/マンドリン音楽/マンドリン合奏/日本のマンドリン音楽/ WEBサイトより
カラーチェ氏の来朝:[武井守成:Morishige Takei] | オルケストラ・シンフォニカ・タケイ / 真中左:ラファエレ・カラーチェ、真中右:[武井守成:Morishige Takei] 『驚くべく喜ぶべき報知は11月23日突如として舞い込んだ。 カラーチェ氏の三女はこのたび在東京イタリア大使館通訳官コルッチ氏と婚約成り、カラーチェ氏は自ら新婦を伴つて東京に向ったと言うのである。 しかも同氏は10月中旬に於て既に本国を出発し、12月12日には本邦に到着すると言うに到つては其の余りに勿急なのに鷲かされる。 同氏は今回来朝を機とし、東京を初め各市に於て演奏会を開さ、マンドリン及リウートの独奏は元より、出来得べくんばオルケストラを指揮したい希望をもつて居るという事であった。 11月26日 、前記コルッチ氏は宮内省に私を訪れ、私逹のオルケストラが氏の演奏会に援助をあたうる事を懇願された。 私は勿論カラーチェ氏の来朝が本邦斯界に必ず好刺激を与うる事を信ずるものであって、其為には氏に対してあらゆる支障を排しても絶対の援助を惜しまぬものであるが、それに就いては氏の企画が如何なる程度になされて居るかを知らねば成らぬと答えた。 而してコルッチ氏の言によればカラーチェ氏は本邦に於て利益を得る事を目的としない。 勿論、演奏会には相当の入場料を取る事には成ろうが、元来娘を送つて来るのが主要な目的であってその機会に親く本邦斯界の現況を視察し、かつ自分の演奏をも聴いて貰ひ度いと言うのであるから利益を主眼とはしないと言う話であったので、然りとすれば私逹は徴力ながら全然好意的に出演しよう。 かつ私としてはカラーチェ氏のオーケストレーションには絶対の同意を表し難い点もあるが、それは別問題としてカラーチェ氏の為に自由に指揮棒を取って貰おうと答えたのである。 暫くして此の1月号が発行される頃には更に具体的に話は進行して居ようし、殊によれば既にコンサートが開かれて居るかも知れない。 言うまでもなくカラーチェ氏は現代のイタリアに於ける巨星であって、名実ともにムニエル氏の後継者である。 マンドリン奏者としての技能は若かりし時に比して衰えを見せて居るが、而も自作の曲の演奏にかけて他人の迫従を許さぬのは言う迄もなく、リウティストとしては今日の第一人者である。 而して最多く私逹に期待されるものは作曲家としての彼である。 恐らく彼は曲目を自作で埋めるであろうし、私逹は彼の曲を新個に味わう事が出来るわけである。 幸多き我斯界に今又カラーチェ氏を迎へ得る事は非常な福音であると言わねば成らない。』 |
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