Itsukushima Perry

The budding era of Japanese classical guitar music日本クラシックギター音楽の『萌芽時代』

逝ける大河原義衛氏:澤口忠左衛門 氏の寄稿文より

[*転記元]digitalguitararchive/1935-51-52-Armonia.pdf
※旧書体を新書体に、送り仮名を適宜変更しています。(管理人)

『本邦ギター音楽初期の受難時代に雄々しく立って、ギターの為精進した大河原義衛氏は、不幸にして永い病床にあったまま、遂に再起せず去る8月4日午前5時50分逝去した。
大河原氏の業績はギターのかなり多方面に関わつて居た。
演奏方面では数回のリサイタルを開き 、其の大半を本邦作品演奏に力を注いだのは燭眼(しょくがん)であった。
当時(昭和4、5年頃)は独立したギター演奏に本邦作品への注目が少なく、作品にしても武井氏の小品が数曲現はれて居た位のものであったが、外国作品のみの演奏より一歩進んで邦人作曲を取上げ堂々デヴューしたのは誠に偉とせねばない。
丁度此の前後にセゴヴィア来朝(1929年:昭和4年秋)があり、吾ギター界は驚異し、混乱した。
そして新しいギターの方法が提示され、セゴヴイアの影響が大きく描かれつつあった。大河原氏も其代表的な一人であった。


セゴヴイアの新時代的西班牙(スペイン)ギター音楽は大河原氏に最も要領よく摂取されたが、氏の本邦作晶に到する熱は依然変わらず、武井(武井守成)氏の[「タルレガに捧る曲」「落葉の精」「軒訪るる秋雨」澤口(澤口忠左衛門)氏の「舞曲」自作品「花束の組曲」等を演奏したのであった。(昭和5年4月25日の独奏会)
氏が演奏上に得たテクニックは当時の本邦演奏家として刮目(かつもく)に価した。

逝ける大河原義衛氏セゴヴイア来朝後は其の研究に余念なく終始関心を持つて居た。

氏の演奏として今はポリドールレコードに吹込まれた2枚が僅かにしのばれるものとなった。
独奏の外、室内楽演奏の希望があったのは筆者のよく知る所であり、それが僅かに前田氏との「ソナタの夕」(之は昭和5年10月17日)としてヂユリアーニ作品85番77番、モリトール作品3番と5番を発表したのみであったのは残念であった。
作曲方面では、良き本邦作品を得る上から、自から作曲を進めた。

傑作「花束の組曲」(アルモニア出版)を初めとして、春秋社版マンドリンギクー曲集中に集録の数曲、ライフリンゲン(デイ・ギタルレ出版の「街の燈」外数曲を遺した。

氏の作品数曲の中ヨーロッパ作品の模倣があると指摘されるにしても、きわめて日本風な多数の作品は日本の作曲家大河原氏の面目を躍如たらしめるものと云はねばならない。

作品批評は別の機会に譲り度いが、氏が古風なギターの表現の一部分を、吾々の中に植え付けたのは、吾ギター史を豊澗にして居るものと思う。
代表作「花束の組曲」がかつてウイーンのオルトナー教授によって演奏(奉非公開の席上であるが)された報告や、アルゼンチンのギター界に喜ばれたりした報道は、国際ギター界に知らしめた日本人として喜ばしい。
又歌曲にオリヂナルなギター伴奏の作曲を発表したのも注意されねばならない。(十字屋出版)

研究業跡としては本誌に連載した「ギターの同音の研究」がある。
之は氏の演奏経験より成果せられた作曲上の貴重な一研究となった。

「ギター奏法」(春陽堂出版)は当時最新と信ぜられたロッチのメソードに準拠して居るとは言え、氏の深い経験に依つて書かれた講話と見て差し支えないと思う。

その他の短文が方々に発表されたが、その度毎にギター音楽の核心にふれて居た。
以上の他、後進指導の教師として、またポリドールレコード文芸部にあった仕事など32歳にして逝った大河原氏とは思われないほどの業績が見られるのである。

不幸昭和6年の夏、夏病を得て多くの仕事を中止せぬばならなかった。

翌年初夏、上京の折、芝の養生院に訪ねた時は、回復も間近い様に思はれたが、之が最後に接した大河原氏であった。
(最初に会ったのは、昭和5年6月3日、仙台に来られ放送された時であった。)

アルモニア誌は終始読んでくれ病床にあって、”アルモニア”を常に築しみにして居た。

何かと近日まで手紙をくれたが、先般筆者の「ギター音楽」については心から喜んで呉れた一人であって、タルレガを中心とする奏法解釈上の二つの分類(今はもう少し変わった意見を持っているけど)の明解なのを殊の外喜んで手紙を呉れたりした。

我がギター界は大河原氏の如き意気と熱誠と努力の人をもっともっと必要なのであるのに氏の再起を得なかったのは何としても惜しいことである。
誠に大河原氏は我がギター音楽初期の大きな存在としてその作品と共に永く記憶されるであろう。』


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大河原義衛氏の録音紹介

ポリドールジャパン
797-A: 松虫の花、ポピーの舞
797-B: 夕べのマグノリア、ボレロ・アマリリス
この録音は1931年6月に行われたものと考えられます。

最近、武井守成、小倉俊、大河原義衛の録音をいくつか入手したので、皆さんにご紹介したいと思います。
以前、私は大河原義衛(1903-1935)について少し書きましたが、今回、彼の唯一知られている録音を 2 つ紹介することができます。
彼の最初の録音はポリドール・ジャパン606で、シュナイダーの「ポルカ 作品92」とヘンツェの「ノクターン」を演奏しました。
この録音の正確な日付はわかりませんが、このリストに基づいて1931年初頭と推測します。
2007年にローム ミュージック ファンデーションのCDセットに収録されました。


1.ポリドール ジャパン 606-A: ポルカ (シュナイダー); 606-B: ノクターン (カール・ヘンツェ)
2.2枚目の録音であるポリドール・ジャパン797では、1930年に出版された5曲の組曲「花束」から4曲を録音しました。:ポリドールジャパン 797-A: 松虫の花、ポピーの舞; 797-B: 夕べのマグノリア、ボレロ・アマリリス。この録音は1931年6月に行われたものと考えられます。

[出典元]:digitalguitararchive [https://www.digitalguitararchive.com/2020/08/early-japanese-guitar-records/]



大河原義衛 Yoshie Ocawara

大河原義衛
大河原義衛

大河原義衛 Yoshie Ocawara

  • 1904年-1935年[明治37年-昭和10年]: 31歳で逝去

[経歴]
出身:北海道名寄市

  • 名寄小学校 卒業
  • 同志社中学校
  • 同志社大学
  • 1925年 上京する
  • 東京農業大学化学科に入学
  • 立教大学に編入、
  • 同時に「オルケストラ・シンフォニカ・タケイ」に入団
  • 1927年(昭和2年)吉井俊二らOSTメンバー松崎浩・小林行治・佐藤信郎「ルーネス・クインテット」五重奏団結成
  • 1927年(昭和2年)11月19日 五重奏団演奏会開催 東京三会堂
  • 1928年(昭和3年)7月10日 第一回「ギター独奏会」日本青年館ホール
  • 1930年昭和5年3月 立教大学 卒業
  • ポリドール・レコード文芸部に入社する。

  • [2枚録音する]
    1.シュナイダー「ポルカ」/K.ヘンツェ「ノクターン」
    2.組曲「花束」から「あぢさいの唄」を除く4曲

  • 結核発病

  • [*参照]:竹内貴久雄著:ギターから見た西洋音楽受容史/P.154-P.159
    [*挿画]:OST時代の大河原義衛氏 digitalguitararchive/1937-64-Armonia

大河原義衛
大河原義衛氏ギター独奏会

大河原義衛氏ギター独奏会

1929年11月25日 大河原義衛氏ギター独奏会 於:夜飛行館
1. 奏鳴曲(作品6の2)モリノ
   アレグロ/ロンド(アレグレット)
2. 奏鳴曲(ヴァイオリンとギター)作品5  モリトール
  アレグロコンスピリット
  アダヂオ(カンタービレ)
  メヌエット(モデラート)
3. テノール独唱(ギターにて)
 ・帰れソリエントの島へ  デール・ルテイス
 ・灯火漏れし窓  ベルリーニ
 ・歌劇「ドンバスクワーレ」よりかくも静けき夜 ドニゼッティ
4. ミヌエット(作品8の1/作品13の1) ソル
 ・練習曲(作品60の20/23)
 ・ワルツ(作品8の6/32の2)
5.テノール独唱(ギターにて)
 ・弁慶橋   大河原義衛
 ・雪の夜   大河原義衛
    ・城ヶ島の雨(北原白秋詩)梁田 貞
6.組曲「花束」
 ・松虫草
 ・あぢさいの唄
 ・鬼けしの踊り
 ・夕の木蓮
 ・アマリリスのボレロ
[助演] ヴァイオリン:前田 璣 / テノール:奥田良三

1930年「大河原氏と語る」:高橋 功
今まで2,3度来仙(仙台)されたので其の都度に相会う機会を持ちながら、私逹の色々な事状がそれを拒んでいた。
併し、6月3日(※1930年)いよいよ最初に相見えた時に、私逹は数年の舊知(旧知)のように胸襟を開いて語ることが出来た。
やっと旅装を解かれた所に、S氏(※澤口忠左衛門氏と思われる)と私が訪問しだ。
恰度(丁度)、楽器が取り出されてあったので。いきおい話は楽器のことに始まった。
氏の現在持つて居られるギターは宮本金八氏の作品10番1927年の製作である。モデルは何によったのか不明であるが、形はラコート型のよりも幾分小さいとのことである。
他楽器とのアンサンプル(主としてヴアイオリン)の場合には音量が小さ過ぎるそうである。

鈴木製ラコート型ギターに対して形の小さい点と、音量の2つの点から、賛成されなかったが、暗にライフリンゲンの持論と符合しているのは、おもしろかった。

とに角、大河原氏は、現在我が国で第一の問題は奏法上の研究であって、楽器の問題は其の次であると言はれたが、氏の此意気ご闘志を心良く感じた。
本邦ギター音楽の開蒙期に於いて、唯一の希望は、艮き演奏家の出現であらねばならないのは勿論だし、将来への光明も此の積極的運動に始められるのは当然である。
氏の此の覇気を喜んだ、第一歩を喜ぶ所以である。

セゴヴィア来朝に際して大河原氏は面接の機会を持たなかったそうであるが、唯、其の演奏に接した丈で、氏程セゴイアを見、セゴヴィアを識り、セゴヴィアを学んだ、セゴヴィアを取った人は少なかったかと思う。
事実、氏のギター音楽の芸術的領域の拡大は、氏の独自な研究にまつことは勿論であるが、セゴヴィア末朝以後一層著しいものがあったことは多くが認めると思う。
氏は、次には先づプジョールの演奏に接し度いと言っていられたが、思うにリヨベットの実質さ・・・従って領域の狭まさよりも、プジョールの円滑さ・・・従って磨きのかかったたギター音楽を欲したのであろう。
本邦作家の作品に関しては多くを語らなかったけれども、凡庸なものの多くより優秀なものの一つが芸術的にはいいに相異ないが、選択の眼が鋭い限り、凡庸なものの多くの中から優秀なものを拾ひ得るのであるから、とに角、目下本邦作家のオリヂナルな作品の多くが出ること・・・従って郷土性を持つ芸術のレパートリイの増えることを望む私の意見に賛せられた。
近い日に、此の作品と氏の演奏がレコードとなって私逹の前に現われることは大きな喜びである。
其の時は、本邦作家の良き作品ご其良き演奏によって、本邦ギター音楽が明るい前途を将末に見出して喜ぶことを信じる。
大河原氏のあの體軀(たいく)を以てして、最後に体力の少ないのを嘆息して居られたが、之は氏の猛烈な勉強を物語るものと解して間違つては居ないと思う。
氏の研究心は其の様に大きい、而て氏は未だ若ぃ。
希望と奮闘に燃えているのである。
其のところに氏の芸術の大きな賞ありが期待される。
私逹の談話は一夕に足りないものだった。
氏の列車が将来への驀進(ばくしん)の如くに帝都に向けて出発した後に、私たち2,3のものはブラボーを叫んで氏の将来を祝つた。

[*転記]:digitalguitararchive/1930-22-Armonia/P.19-P.21

1930年10月 第8回演奏会写真
大河原義衛[Yoshie Ohcawara ](ギター)と前田璣[Tama Maeda](バイオリン)

1930年 「ソナタの夕べ」

大河原義衛[Yoshie Ohcawara ](ギター)と前田璣[Tama Maeda](バイオリン)
1930年10月17日 「ソナタの夕べ」場所:東京日本青年会館
<演奏曲目> 
・ジュリアーニ 作品85番/作品77番
・モリトール 作品5番/作品3番

「ソナタの夕べ」開催時の写真です。

[*出典]:digitalguitararchive /Armonia 1930-23/P.25

大河原義衛の独奏会

澤口忠左衛門により「仙台アルモニア」より発刊された。
[大河原義衛作曲集新刊]
一若くして逝いた吾ギター音楽の先覚者遺曲特別出版――

第一巻ギター獨奏曲集(1)
組曲”花束”(第二版新装)
1. 松虫草
2. あぢさいの唄
3. 鬼けしの踊り
4.夕の木蓮
5. アマリリスのボレロ

第二巻ギター獨奏曲集(2)
1. 三味線風の曲
2.怪奇な踊り
3. 夜想曲

4. 蟲(行進曲)
5. 街の燈(前奏曲)

第三巻ギターによる歌曲
1. 序詩 田中公平詩
2. 鶴 北原白秋詩
3. 曳き舟 白鳥省吾詩
4.入日 花田謙二詩
5. あかく塗った 石原純詩
6.山畑の 花田謙二詩
7. 弁慶橋 井上庚文詩


[*出典]:digitalguitararchive /1937-64-Armonia