マンドリン奏者
生年月日:明治23年 (1890年)4月14日
没年月日:昭和50年 (1975年) 7月5日
出生地:東京都
学歴:慶応義塾大学卒
経歴:マンドリンをアドルフォ・サルコリ、ラファエレ・カラーチェに師事。
大正9年(1920年)から2度、イタリアへ留学。日本マンドリン界の先駆者。
[活動内容]
1908年 慶應義塾の予科に入学する。
1910年に慶應義塾マンドリンクラブ(KMC)を創立する。
彼はマンドリンの独習者であり、クラブの設立に尽力しました。
[演奏会開催]
1912年には、横浜バンジョークラブとの合同演奏会を開催し、クラブの活動を広げる。
[指導と普及]
KMCの後輩たちを指導し、内田寅夫や宮田政夫などの優秀なマンドリニストを育てた。
また、サルコリ氏との出会いを通じて、イタリアの正統派マンドリン音楽の指導を受け、クラブの音楽レベルを向上させた。
[演奏旅行]
KMCのメンバーと共に日本各地への演奏旅行を行い、マンドリン音楽の普及に努めた。
[独奏活動]
田中は、サルコリ氏のギター伴奏やピアノ伴奏でマンドリン独奏を行い、多くの独奏曲を初演しました。
[指揮活動]
1912年5月25日: 横浜バンジョークラブとの合同演奏会で指揮を担当。
[マンドリン演奏活動]
1912年5月25日: 横浜バンジョークラブとの合同演奏会でマンドリン独奏を披露。
1913年: 東京YMCAホールでの演奏会に参加。
1915年6月20日: 第3回音楽普及会で指揮を担当。マンドリン独奏活動
1920年: 東京マンドリン倶楽部の一員として演奏。
1925年: シンフォニア・マンドリーニ・オルケストラ(SMO)での演奏
田中常彦は本格的なマンドリン独奏家を目指してサルコリ氏の紹介によるイタリア留学を志し、大正9年(1920年)7月ナポリへと向かった。
1924年(大正13年)5月:4年間のイタリア留学を終え帰朝。(34歳)
1927年(昭和2年)7月:(田中氏:37歳)後輩のギタリスト月村嘉孝氏(25歳)と共に再びイタリア留学に向かう。