1942年1月号 武井楽団発行「マンドリンとギター研究資料」より
[ 我邦ギターの揺籃期における作曲の一学徒 ]
『ギター運動が今日の如く盛んなるを見るにつけ思い起すのは、20年も前に孜々として(ししとして:一つのことを熱心に続けることを意味する)ギター曲を書いていた池上冨久一郎と言う若き学徒の事である。
大正13年だったと記憶する私は横浜に住む未知の人から小さいギター曲1つを送られた。
そえられた書簡は「此の曲についての意見を聞きたい」という依頼で、「自分は音楽について極めて幼稚な知識しかもたないので、此の曲が果してものになっているかどうかは判らない」とも書かれていた。
之が池上氏である。
その曲は僅か25・6小節の小品であるが、成程和声上の欠陥が相当に多くどうにも成らぬような感をもつ個所があるが、1面には又如何にも純真な、心をうつものも含まれていた。
私は率直に其の旨を返事し 且つ「唯一曲で貴下の作曲上のすべてを批判する事は出来ない」と申し送ったところ間もなく更に一つの曲が送られて来た。
此の曲もまた、前の曲と同じように長所と欠陥とをもつているが、しかし 2曲は全く別ものであったばかりでなく、私には前よりも其の長所とするところが明らかに成つて来たのである。
斯うして2,3の曲が次々に送られて来た。
どれもこれも2・30小節の小品であるが、いつも画用紙に自身で五線を引き、それに丁寧にノートされていた。
五線紙はい<らでも売っているのに此面倒を敢えてしたのは、それが此人の好みなのか、或いは又特に敬意を表される意味からそうされたのか、それは判らないが如何にも丁重な克明な人のように想像された。
そうこうする中に私は面会を求められ、震災後のバラックの私宅で初対面の挨拶を交した。
打見たところ町家の若主人と云った風采で、どう見てもギターを奏いたりギター曲を書く人には見えない。
聞けば家業は足袋屋さんだと云う。
之は或は記憶違いであるかも知れない。
しかし話をしている中に驚ろかされたのはギターに対する熱烈な憧憬であった。
内面に持っている音楽的素質は確かに良いものが多分にあるが、いかにも理論についての知識がない。
相会うまで「天才なのか出鱈目なのか」と判断に苦しんでいたが、その両方が現実なのであるのを知ったのである。
私は理論についての勉強をされることを希望してその日は別れたのであるが、これが唯一度の面会であったように記憶する。
しかし曲はその後も度々送ってこられ、書簡も度々受け取ったが、2,3年にしてそれも途絶え、その後全く消息を知らない。
今私の手元には8つの曲が残っている。
そのすべてを掲げる事は限られた紙面上到底許されないので「物語り」一つをそのまま掲げてこの若き学徒を偲ぶことにするが、さて此の8つの曲をならべて見て改めて考えさせられる事は、此の未完成な作曲家ーと言うよりも作曲を志す一生徒と言う方がいいのかも知れない・・・がもし適当な教養を積み得たならば大成していたのではないかと言う事である。
ギター曲とLして彼はフエレール、カノや次いでは大タルレガなどの曲に異常な敬意をもつていると言うより卒直に言えばさら言う人たちの曲の外廓を見つめている。
また極めて単純なリズムしか駆使出来ていない。
更に和声については殆んど知識がない。 従つて飛んでもない失敗を平然と見すごしている。
にも拘らず何か一脈の生気をもつているのは何故であろう。
それは彼の内心に潜在する精神的なよさであって,而もそれこそは求めんとして求められず、且つ多くの作曲に志す人のすぺてが皆保持しているとは言えぬものなのである。
彼の曲はすべて手を入れなければものには成らない。けれども若し訂正されるならそのいづれも生命な充分もち得るものばかりである。
ギター音楽について極めて幼稚な知識しかもたなかった当時の我邦に於て・・・ギター曲を書く人殆んど皆無であったその当時・・・彼が大成しなかった事ば惜しいが、しかし我邦ギター界発展の下積みに成った此人の事は斯界は記憶していてよいように思われる。』
『終わりに私の所有する8曲の名を挙げて置く。』
■月下の逍遥(ヴァルス)(腕又氏に捧ぐ)
■物語り(高橋文雄氏に捧ぐ)
■落葉(夜曲)(筆者に贈らる)
■秋の踊リ(ギヤロップ)(村上三郎氏に捧ぐ)
■灯點し頃 (小幻想曲)
■―つの道ヘ(オルケストラ・シンフォニカ・タケイに捧ぐ)
■春の望み
■春の踊り
[*転載]1942-01-no1-「マンドリンとギター研究資料」P.3より
1924年11月1日発行 「第一回作曲コンコルソ当選曲と小評」
[審査員]:武井守成・澤常彦・大沼哲・菅原明朗
第一回作曲コンコルソは8月末日を以て締切りマンドリン独奏曲5編、ギター独奏曲8編を得、爾来審査に従事したのであるが審査に意外に時日を費やし漸く10月20日決定、同月28日、オルケストラ・シンフニオカ・タケヰの第16回演奏会に於てこれを発表し、同時に応募者全部に之を通知したのである。
~<前略~>
◎ギター獨奏曲
(一等なし)
二等。賞状
「船唄」評(Barcarola) 京都 堀清隆氏
■短評
ギター獨奏曲として応募されたものの中、先づ審査員が多少なりとも問題としたものは堀(*清隆)氏の「祈」「夜のノヴェレッタ」「船唄」、池上(*冨久一郎の事と思われる)氏の「戯欲」「落葉」の5編である。
而して更に厳査の末、堀氏の3曲が当選圏内にあるものと認めた。
「祈」は面白く出来て居る。
又ギターと言う楽器の特色を可成りよく握つて居るが所々に無理な変調、不自然な句法が用いられ、和音の誤りがあり統一に欠けて居る。
「夜のノヴェレッタ」は軽快なファンタスティックな面白味があるがリズムが不自然であり且つメロデイーが断片的に続いて居るのを装飾や伴奏部で紛らして居る様なところが有り、全体に冗漫に流れて居る。
「船唄」は伊太利風な美しい旋律をもつて居り、曲の変化手法等すべてに亘つて難が少ない。
和声上の誤謬はあり、初めの部分と次との対象にもやや不満はあるが全体として見れば非難の少い作であり同時に或程度にオリヂナリテイーが見出される。
此三曲について更に身長審査の末「船唄」を入選曲とした。
然し之とても他に比して隔段に優れて居るとは認められず、之を一等に推す事は不当であると認め、二等と決した次第である。
堀氏の曲のみが当選圏内に入った事は同氏の為に喜びとする所ではあるが同氏には今少しデリカシーが欲しいと思う。
若し池上(**冨久一郎の事と思われる)氏に和製の知識があれば恐らく堀氏は独占的位置を保つ事が難しかったであろう。
池上氏は感受性の豊かな人であると思う。
氏の作品には全く自然な美しさがある。
魅力に富んで居る事は堀氏の遠く及ばざる所である。
然し惜しむらくは氏には和声の知識が足りない。
そして折角の美しさを和製の欠陥で破壊して居る。
今―つ雨曲を通じて氏はタルレガを極端に崇拝して居る事が明に認められる。
勿論悪い事ではないが、氏の作品が全然タルレガに縛られる事は考えものである。
池上氏の如き天賦の才に恵まれた作家は是非和製額を研究されて、其の作品に磨きをかけて戴き度い。
[結び]
なお独奏曲を通じて如何にしても一等を認むるものを見出さなかったのは遺憾であるが、第一回の試みとしては決して悪い成績ではないと思う。
審査員は厳査を行う面に於て本邦のマンドリンギター曲作家の奨励という事を主眼にして寛容の態度は失わなかった心算である。
当選の3曲は大分訂正を行わねば成らぬ所がある。
それ故、当選者の承認を得れば訂正を加えて出版する心算である。
勿論修正は止むを得ざるものに対して最小限度に之を行うのである。
次期の作曲コンコルソに於て更に優秀なる成績を上げ得る事を祈つて小評の筆を置く。
[*転記]digitalguitararchive/01-10-Study-of-Mandolin-and-Guitar.pdf/P.22-23